中條勇次郎の時計

  • 幻の時計と言われている「中条勇次郎の時計」を2台目、3台目と発見するまでのエピソード

 明治18年に国内で初めて掛時計の量産時計として製造された中条勇次郎の時計は、現在日本で3台しか確認されてなく、コレクターの間でも見ることもむつかし時計で、骨董屋で発見するまでは2台しかないとも言われていました。

 現存する時計はセイコー社の資料館に一台あり、後の一台は行方不明で現存しないとも言われており、自分の手元に入るとは思ってもいなかった。

 偶然にも明治村(愛知県犬山市でパネル展示されていた時計の写真を見たときには、どこかで見かけたことがと思いましたが、どことも思い出すこともできなかった。2ヶ月ぐらいが過ぎてある骨董屋入ったところ、土間に置かれ足にあたった時計が中条勇次郎の時計であったのだがその時はまったく気にも留めず、欲しかった外国の時計を探したが店内を見渡しても無かったため他の店に行くことになった。あ?でパネル展示されていた時計の写真を見たときには、どこかで見かけたことがと思いましたが、どことも思い出すこともできなかった。2ヶ月ぐらいが過ぎてある骨董屋入ったところ、土間に置かれ足にあたった時計が中条勇次郎の時計であったのだがその時はまったく気にも留めず、欲しかった外国の時計を探したが店内を見渡しても無かったため他の店に行くことになった。

 1週間後に同じ骨董屋へ出向き、店内にあった以前来たときに足にあたった時計を見せてもらい、どこかで見た時計なのでラベルを見たところ製造人としてローマ字で「チュウジヨウ」らしき文字が書いて有ったが、本物と思わずその場を去り他の店で意見を聞いたが「有るわけがない」と言われた。家へ帰っても気になって眠れなかったため、翌朝電話したら有る業者がまとめて持ち帰ったことを聞き、その後その時計を追いかけることになるが転売されたため3件目の店で安く手に入れることができた。

 手に入れた時計を持ち帰えり明治村の学芸員に見せることになるのだが、学芸員も半信半疑で時計を見たら顔色が変り、資料と突き合わせ大騒ぎになり、「中条勇次郎の時計」と確認して家に持ち帰った。

 4・5年が過ぎ明治村で「時計展」をすることになり、「中条勇次郎の時計」の出展依頼があり、国立化学博物館の時計担当の学芸員が見て「中条勇次郎の時計」とは機械が違うのではないかと言われたため展示する事を中止した。

 後日「中条勇次郎」の関係者(3代目の中条勇次郎氏)を明治村の学芸員が探し、明治村で見てもらうことになり、昭和17年に本人が修理した「中条勇次郎の時計」で有ることを知り、本物であることを確信することとなった。

 今回いろんな偶然が重なり手に入れることができたが、発見できなかったらどこかのコレクターが所有して、世の中に出てくることも無かったかもしれないとも思い、自分で持っていてもだめだから明治村に寄贈して多くの方に見てもらうことにした。

 これで「中条勇次郎の時計」は日本に2台しかないと言われていたのであきらめていたら、10年に前ある骨董屋から「中条勇次郎の時計とよく似た時計が東京から帰ってきたからどうですか」との連絡が入り、早速骨董屋へ手向いた。「中条勇次郎の時計」に間違いないと思ったが、ラベルの上に修理票が貼って有り確認できないためとりあえず売約済みにすることにして家に帰った。

 すると次の日に骨董屋から電話が入り、必死になって修理票をはがしたら製造人「中条勇次郎」の文字があらわれ本物であることが確認できたため、「店の宝としたいため売りたくない」と言ってきた。20年近い付き合いのある骨董屋と「10年経ったら渡してもてもよい」など冗談を交えた押し問答した末、3台目を手に入れることができたのである。

2008年4月7日放送から
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2008/05/04